当主の記録 三代目 輝原環 兄の死を予感していなかったわけではない。 きっと母の死を目の当たりにしたときから、兄の死は覚悟できていた。私と違い、兄は母こそが人生だったから。 ゆえに私は、知らず知らずのうちにこうなることをわかっていたのかもしれない。 輝原薫、この名を継ぐことの意味。 重すぎる責任に潰れてしまいそうだけれども、母を愛した証に、私はけして後ろを振り向いてはいけない。 一〇十九年六月 <白骨城> 三代目輝原薫を継ぎ、私が当主となった。 …兄は誰にも声をかけずに死んだ。まったく、あの人らしいとは思うけれど。バカな兄だわ。本当に。 一番最初の仕事となったのは私の娘を迎え入れること。 その辺の男よりもずっとたくましい子、ということだったけれど、確かにとても気の強そうな女の子だった。 今年やっと芽吹いてきた庭の緑のような鮮やかな緑色の髪に、母と同じ白い肌、それに兄さんと同じ赤い目。不思議ね。印象はまったく違うのに二人を思い出すなんて。 角がちょっと生えているのね。京に出るときは隠すようにしなさいね、町の人たちは今過敏だから…ごめんなさい、分かってちょうだい。 たとえ短い人生となってもまた輪廻の輪のように生まれ変わり幸せになれるように、悲願が達成できたのならば人の輪の中で幸せにすごせるようにと。円(まどか)と名づけ、私と同じ弓使いとして育てることに。 今月は私が円に指導とつけることに、 樹梨と悠は私よりも実力があるし、無理をしなければ大丈夫だと思う。頼んだよ、樹梨、悠。 「任せておいて環姉さん、あの変な白い塔に登ってみるよ」 「任せとけって。円、ちゃんと勉強もしろよ!」 下ができて兄気分なのか、うれしそうな悠が印象的だった。 指導は基本からはじめるけれども円はすこしせっかちな様子。手に豆ができたと痛がっていたけれど大丈夫よ。すぐに硬くなって、弓も手になじむから。…そうね、手習いをしていると母さんと居たときを思い出すわ。 白骨城は黄川人と会ったそうだけれど、どうやら骨でできた塔だという。悪趣味だこと… だけれども中の鬼にはさほど苦戦はしなかったということ。そう…まだ上の階は分からないけれども無茶ではなかっただけよかった。 盾削りの術書も持って帰ってきてくれて助かったわ。 (白骨城についての概要が続けられている。6,7階程度の塔でたどり着くまでには不気味な原っぱを抜けることも。 夏しか現れないなどと黄川人がいったという言葉も箇条書きで続いている。) 一〇十九年七月 <交神:愛染院 明丸> 今月は悠に円の指導を付けさせようと思う。 まだまだ子供だけれども彼の能力は家族の中でも頭一つ抜けている。きっと効果も大きいと思う。兄妹みたいなものだもの、仲良くやっていた。 「母さーん、悠叔父さん私より手習いできないじゃーん」 「うるせぇ円!俺様の剣技をなめんなよー!」 ……同じ程度なだけかもしれないけれど。 その間樹梨の交神の儀を執り行うことに。 相手には火神である愛染院 明丸様。私自身の推薦だけれども相手として悪い方ではないと思う。樹梨も納得してくれたみたいだ。 儀の手伝いくらいしかできないけれど…あの子なら大丈夫。 その間に私は都に出ていろいろ回ることにした。最近、少しずつ話し掛けてくれる人も増えたと思う。 私は人付き合いは苦手だけど…そうも言っていられない。当主として今上帝にも挨拶にあがった。母の死を悔やんでくれたことは、少し意外だったけれど。 (都の最新の情報・復興具合などの記述が続いている。) 一〇十九年八月 <白骨城> まだ大会に出るには力が足りないと感じた。ちらりと訓練風景をのぞく機会に恵まれたけれども、まだ無理だと感じてしまう。 情けないと思っている場合ではない、一刻も早く力をつけなくては。 今月円が初陣を迎えることに。多少無茶をしてでも実力をつけさせたいところだけれど… 白骨城が夏にしか現れないと黄川人は言っていました。今月、もう一度、今度は私も自分の目で見ておく必要もあるだろうから。 三の丸までは比較的順調に。円にも大きな怪我はなく、樹梨や悠もすっかり陣を引っ張ってくれる存在に。 悠もすっかりお兄さん気分なのか、早めの回復も進言するようになった。それだけ、大人になったということか。そういう意味では円の勝気な性格は先頭にも現れているようで、大将を確実に狙っているのね。 思わず樹梨と笑っていたけれど。 「昔の環姉さんを見ているみたいよ。」なんて。……まぁ、普通とは違ってもやはり親子というやつかしら。 収穫は少なかったけれど、でも白骨城の中を見れたことは有意義だったと感じた。 次に行くのは来年となるだろうが……私は、また行けるんだろうか。 (白骨城周辺の様子、夏が終わりに近づき妖気が不安定になっているなどとの記述が続く。 鬼の編隊や階の構造、あると思われる宝などの覚書も詳細に記されており、一部図面も加えられている。) 一〇十九年九月 <相翼院> 今月最初の仕事は当主として樹梨の子を迎えること。 とても可愛らしい顔の、円や悠よりも大人な様子に見えたけれども性格は豪快そのものだというのだから見かけによらないものね。 茶色の髪に、茶色の瞳、そして黄色の肌。 「まるで…おばあ様が戻ってきたみたい。性格はどちらかといえば私に似て落ち着きがないみたいだけれど」 …そうね。母さんと同じ色の髪の毛、なのね。樹梨と同じ薙刀士にするそうだ。 瑠華(るか)、と名づけるそうだ。とても華やかできれいな名前、その名のように華やかな人生に、きっとなると思います。 そして悠も元服を迎えた。…早いものだと実感するわね。 簡単ではあるけれど元服式を行ったけれど、それより悠はご馳走のほうがうれしそうね。 …イツ花に聞けば他の職業の指南書というものがあるのだという。…戦略を増やすためにも一刻も早く欲しい。 相翼院にあるといううわさを聞いたので、少しも手がかりがない場所よりは少しは確率が高いはず、相翼院に出陣。 樹梨は瑠華の指導をするように残し、相翼院へ。 …私はこの場所初めて、なのよね。母の手記に書いてあった覚書では読んでいたけれど、意外とさわやかな場所なのね。 けれど母がこなかったのは…実力をつけるには向いていないのか… 白糸の襦袢などを手に入れるものの指南書は見つからない。けれど、どうやらここにあるということは本当なようだ。みな大きな怪我もなくてよかった。 「姉貴、しばらくはここにくるのか。」 ……指南書を手に入れる、まではね。 (ドクロ大将が持っていることを確認したという覚書の下に、小宮までの地図が加えられている) 一〇十九年十月 <交神:木曽ノ春菜> 今月頭、都では流行病が起こったとイツ花が言っていた。幸い家族でかかったものは居なかったけれども… 都に配れる薬があればよかったのだけれども、私たちの薬は普通の人にはあまりにも強すぎるということだ。見守るしかないということは歯がゆい。 少し悩んだけれど、今月の内に悠の交神の儀を執り行うことにした。 元服はしているわけだから早すぎもしないだろう。お相手には木曽ノ春菜様がちょうどいい。悠にも文句はない―――というよりも。 「別に誰でもいいんだけど。俺交神とか良くわからねぇし。なー、交神の儀しなきゃだめか?俺訓練のが好きなんだけど。」 ……興味がないといったほうが正しいのかしら。 まったく、無邪気なのはこの子のいいところではあるけれども。 樹梨は引き続き瑠華の指導についていた。私も時間を見つけてみていたが、薙刀捌きが随分と様になってきているのね。 これならば来月初陣に出ても問題はないでしょう。 私自身円の弓を少し見たりもしたけれど…時には庭の整備をと思い、イツ花と集中して庭を手入れしていた。 こんな風に休まるときがあっても、いいだろう。 (新しく植えた苗や桜の木の育ち具合の覚書がある) 一〇十九年十一月 <相翼院> 今月、大江山が開く。 けれど、相翼院や鳥居千万宮すら途中で断念する局面も多い今、行っても命を無駄にするだけのように感じた。 ……いや、本当は行かなくてはいけない。責任を後回しにしてはいけない。だけれども、まだ、いけない。 瑠華も実戦で十分通じるほどになった。一度でも早く実戦を経験させたかったこともあり、今月は円に留守番を任せる。 「えー…私も討伐いくつもりだったんだけどなぁ。母さん休んでれば?私いくよ?」 …本当にこの勝気さは誰に似たのだろう。もちろん我慢も大事なので留守番をさせることに。 家に居る間はイツ花の手伝いをするよう言い含めておきました。 また相翼院に足を運ぶものの…… 熱狂の火が燃えたにもかかわらず手に入らないとは……ついていない。 水葬と蛇麻呂といった術書こそ手に入るものの、早く新しい指導書は手に入れておくべきだ。これから生まれてくる子供のこともある。 (今月進んだ経路を地図にて記載) 一〇十九年十二月 <相翼院> 悠の娘が来訪しました。…どちらかというと木曽ノ春菜様似、かしら? 青い髪に青い目、そして白に近いすけるような肌… 「似てねぇだろ。俺もそう思う」 ………そうね、あんまり似てないけど。悠よりも格段にしっかりしてそうな娘だった。剣士を継がせるといっていたが、小柄な体型が不利な状況につながらないかとは不安はのこる。 永く彼女の世界が続くようにと永(ながら)と名づけたようです。 「へぇ、悠伯父さんにしちゃいい名前ジャン。」 「私も瑠華に同感、よろしくね永」 若年層二人は妹ができた気分なんだろう、心なしかうれしそうなのが印象的だった。 討伐に出たがる悠を永の指導に付け、ほかの四人で相翼院へと出陣。 …悠は手習いはあとで誰かが教えなくちゃならないだろうけれど、剣の腕だけは確かだから指導自体には問題はないだろうとは思う。 しかし我々討伐に出た方は、熱狂の火がみつかるもののやはり指南書は見つからない。他の場所にあるといううわさも聞かぬし…どうしたものか。 とりあえず今月でまた一年が終わる。イツ花や樹梨とささやかながら料理も用意し、ご近所にお餅を配るくらいのことを今年はできたことは少しは進歩なんだろうか。 来年、来年はもう一歩前に進みたい、そう願う。 (この後数ヶ月の予定を考えていたのか、走り書きでその後いくつかの討伐案が並ぶ) 一〇二〇年一月 <相翼院> 新しい年、だというのに私の体がそろそろ限界を訴えはじめていた。 手足に痺れが残る感覚…これも呪いのためなのだろうか。母や兄の症状も読んでいたが人によりかなり症状は違うようね。 漢方屋に足を運び薬を調合してもらう。名を聞けば『薬氏とでも呼べ』と。娘さんが一人いらっしゃるようで彼女が私の症状や状態を確認してくれた。…あまり世話にはなりたくないが、この呪いの連鎖を断ち切らぬ限り、そういうわけにもいかないでしょう。 事実薬氏殿が煎じてくれた薬はよく効いた。 手足の痺れも少なくなり、之なら今月の討伐も問題ないだろう。 「姉さん、お体が少しでも辛いなら家にいて。討伐にはでないで」 …樹梨は母と兄の弱る姿を見ていたからか、私の様子にも気づいたのだろう。極力気づかれないようにはしたつもりだというのに。 だけれども大丈夫。私は当主、母の後を継ぎ、そして繋げる義務があるのだから。 今月も悠に永の指導につかせる。そろそろ討伐に出たくてうずうずしているようだけれども…私たちは親子の時間が限られているからこそ、大事にしなさい。 今月は女四人での討伐で相翼院へ向かいます。…なかなか成果が出ずじれったくも感じても、頑張らなくては。 瑠華も日に日に力をつけ、円も今となってはすっかり頼れる戦力となった。まだまだ弓の引きが甘いけれど一緒に討伐に出ていればそこもその都度注意できる。…私自身は体に宿る妖力とでもいうのか…術を使う力がみなぎってきている。樹梨もそうだというけれど… まだまだ術の使いこなしは自分自身甘いわ、まだまだ、訓練を重ねなくては。 「母さん、疲れたの?あまり顔色が良くないけど…」 「ほんとだ。少し休みます?」 …いいえ、大丈夫。 …さぁ樹梨もそんな顔しないで。悠や永が待ってるわ、少しでも成果を持って帰りましょう。 (今までいった経験から相翼院の地図が書き起こされている。経路は三本、鬼たちの仕業か毎回橋の位置が変わるものの、一定の法則性があるという可能性を図面にしてある。 その後自分の容態の変化、『薬氏』と名乗る漢方屋のことや今回調合してもらった薬について簡単な覚書が続く) 一〇二〇年二月 <鳥居千万宮> 円が元服を。簡単にではあるけれど元服の儀を行い、元服を祝いました。 …もうそんなにたってたのか…随分と早いな。 今月に入り手足の痺れが本格的に強くなった気がする… それだけでなく節々の筋肉が軋む。母は内臓、兄は体中の熱、であったと記されていたが…どうやら私は筋肉から朽ちるのか。 ……いいわ、おかげで体内に異常はないのだから。 情けないけれども自分の足で漢方屋さんに出向くことも無理そうだったので円に使いを頼むことに。 ――――大丈夫、薬を飲めばしびれは治まった。これで、今月も大丈夫。 「母さん、お願いだから無理はしないで…!!」 「そうだ。姉ちゃん、ゆっくり休むことも時には重要だ。討伐には俺が出る。今月は休んでろ!」 二人とも、頼もしくなった。本当に優しく、そしてどこまでも暖かい。母さん、貴方の血はちゃんと繋がっている。 …けれど否が応でも気づいてしまう。おそらく私は長くは持たない。ならばこの命が続く限り一歩でも前に進まなくちゃいけない。 永には今月は瑠華と留守を任せ、準備を整える。イツ花の手伝いをしっかりしなさいね。 今月は相翼院から気分を一度変えて鳥居千万宮へと行こうと先月から思っていた。 …母さんと初めてきたところ、そんな感傷を抱くなどばかばかしいのだろうけれども。 「そんなことないよ、ほら環姉さん、ここで一度休憩するわよ」 樹梨には心配をかけてばかり。叔母…いえ、姉として情けなく思うけれどこのように気にかけてくれる家族が居るということはきっとすごく幸せなことだと思う。母さんはそれを良く分かっていた、だから、最後まで笑っていた。 収穫はあまりなかったけれど、最初の頃よりは随分進めるようになったのね。 「か、母さん!!!」 油断したわけじゃなかった。ただ、私の力はここまでだったのだろう。 関節がひどく痛んで頭が割れそうで。見れば私の指先は真っ黒に変色していた。…道理で、いつもどおり動けないと思った。 故に私は敵の攻撃をよけきれず重傷、もう助からないなんて火を見るよりも明らかだ。 置いていけという私の言うことをきかず悠に背負われて家に戻ることに。 布団に横になれば途端に、心までが急激に小さくなっていく。最後に筆をとり私が知る限りを残していきましょう、この家族を、何よりも愛しているから。 黒くなっていく指先、もうほとんど感覚もない。酷い字。…そうね、樹梨、書くのを変わってもらえる? …本当は、本当は怖かった。けれど、貴方たちが居たから、私は立っていられた。 こんなこと、言うつもりじゃなかったんだけど、な。 「姉ちゃん…っ、もうしゃべるな!!」 「そうよ!!今当主様を失うわけには…!!」 当主……母さんのこの指輪は、私には重かったわ。本当は私は向いていなかったのかもしれない。 …悠、母さんの意志を受け継ぐものとして、貴方がこの指輪を継ぎなさい…大丈夫、姉ちゃんが保証するわ、あんたの中には、誰よりも濃く母さんの血が流れている、だから、いい当主になる。 「分かった…、分かった、からっ!!」 樹梨、円、そして瑠華、悠を支えてやって頂戴、ほら、字とか、汚い、から。 「…………分かった、よ」 「母さん!!そんな聞き分けよく返事なんてしないでよ!!まだ、まだ環叔母ちゃんは死なない、よぉ…っ!」 「…………っ!!」 …まったく、年上の貴方たちがそんなにぼろぼろになって。永、貴方の初陣を見れなくて、残念だった。 「……はい…」 ……さて…どうしましょう… なんだか、もう、体に、力が入らない、な… 三代輝原家当主・輝原環 享年一歳七ヶ月 眠るように瞳を閉じ、その顔は人形のように美しかったという。 手記には水ににじんだ文字で彼女が最後に小さく漏らした言葉が残されていた。 「一つひとつの戦いに命を張る覚悟でやってきたよ… じゃないとね、怖くてしょうがなかったんだ…」」 |