3代目当主 仁の手記






1019年 8月

 千里がはめていた当主ノ指輪は、不思議なことに俺の指にぴったり合った。
 三代目当主…か。ほんの数カ月前までは父さんと千里が前にいてくれたのに、もう俺が家族の最年長になるんだな。
 それに、家で男は俺だけだ。当主としてだけじゃなく男としても、今度は俺がみんなをしっかり守っていかないと、な。


 今月の討伐には万里と里杏の二人で出てもらって、俺は引き続き迦南の指導にあたる。
 一人で基本の型をなぞらせてみるとだいぶ上達してるのがわかるが、二人で手合わせとなると突きが鈍るな。どうも俺に槍を向けることに躊躇いがあるらしい。
「ごめんなさい…」
 悪いことしてるわけじゃないだろう、謝らなくてもいい。お前のそんな優しさが好きだよ。
 でも、討伐に出て敵を前にしたら躊躇うなよ。これだけは絶対だ、できるか?
「はい。父さま」
 いい子だ、迦南。

 出撃隊のほうはあまり芳しい成果を上げられなかったらしい。帰ってきた里杏にもごめんなさいと謝られてしまった。
 いいよ、里杏。二人でよく頑張ってくれた。次の討伐は俺も出る。しっかり休んで、また来月頼むな。



1019年 9月

 根来ノ双角様の下から、万里の娘がやって来た。
 母君似の美しい方です、とイツ花。緑の髪の子は初めてだな。生命力に溢れた樹木の緑を思い出す、そんな色だ。
 万里もそんなことを考えてか、この子の名前を若葉とつけた。職業は剣士。

 それから今月は、迦南の初陣。若葉の訓練は万里に任せて、俺と里杏、迦南とで相翼院に出撃した。
 槍っていうのは便利だな。縦に並んでいる敵をまとめて貫いてくれるのが助かる。でもまだ無理して前に出るなよ、迦南。焦らないで経験を積んでくれ。
 片翼の水鏡はまったく危なげなく抜けて、天女の小宮では、今回は回廊を右へ進んでみたんだが……前に万里と二人でここに来たとき、右へは行くなと千里に言われた理由がよくわかった。
 燃え髪大将、かなり手強いんだな。打撃も痛いが花連火の術が苦しい。引き連れている山ワラなんかも体力があってなかなか倒れないし、苦戦の連続だった。
 幸いみんな大きな怪我はせずに帰って来られたが、まだきついな……。



1019年 10月

 万里と交替して、今月は俺が若葉の指導につく。
 同じ剣士だから教えやすくて助かるな。それに上達が早い。俺よりよっぽど筋がいいよ。
「えへへ、仁さんの教え方がいいからよきっと。でもせっかく誉めてくれてるんだから、私ももっと頑張るわね」
 ああ、その意気で頼むよ。
 ただ、初陣が来月というのが気がかりではある。どうするかな……

 万里、里杏、迦南の三人は九重楼へ。七天門の鬼はすでに倒してあったから、その先の楼閣に入ってみたそうだ。中をうろついていた鉄クマ大将には、どうにか太刀打ちできるとのことだった。



1019年 11月

 十一月。大江山の門が開かれる。
 今年、大江山に登るか否か……迷っていた。
 麓をうろつく小鬼でさえ、他の巣窟で戦ったことのある敵よりも数段強いと聞いている。まして山を登っていけば、出てくる敵の強さは比じゃなくなるんだろう。
 そんな敵を相手に戦えるのか。命を捨てに行くことになりはしないか。
 だが今を逃せば、俺と万里にはもう、次はない。今月元服した里杏にも、もしかしたら来年はないかもしれない──。

 ――大江山へ入ろう。
 厳しいとは思う。だが、やってみないとな。どこまでやれるかわからない、けど行かなければもとから可能性はゼロだ。「一歩でも前へ行け」、俺の父さんの遺言だった。覚えてるか、万里。
 俺は前へ行く。みんな、ついて来てくれ。
「ええ。…きっとそう言うだろうと思ってた。兄さんに従うわ」
「うん」
「私も、父さま」
 出撃隊は俺と万里、里杏、それから迦南。
 さすがに初陣の若葉を連れては行けない。ごめんな若葉、これはわかってくれ。…いいな。
 すぐにイツ花に準備を整えてもらった。店に並んでいる中からいちばん質のいい防具を揃え、薬や七光の御玉を多めに携帯し、――いよいよ出陣する。


 都にはまだ初雪が降ってもいないのに、大江山は一面の雪景色だった。
 寒さのせいだけじゃなく、この山の頂に朱点童子がいるとわかっているからだろうか……底冷えがする。
 足を踏み入れた山道はまさに鬼の巣窟だった。真っ白な雪中で身を隠す場所もない。こっちの倍近い数の群れで襲ってくる鬼ワラや幽鬼をひたすら斬って斬って、やっと見つけた岩陰で一息ついた時には、早くも鎧が血に染まりかけていた。
 みんな無事か、怪我は?
「仁さんがいちばんひどいじゃない…! 待ってね、すぐ若葉の丸薬を使うから」
「常盤の秘薬があるわ、こっちにして。…集中的に狙われてたでしょう、兄さん」
 ああ、でも俺は大丈夫、どうってことないよ。
 誰も大きな怪我はないんだな。それならいい。

 それからは、敵襲と雪をしのげる場所を探しながらの行軍になった。
 だが山道を歩くだけでも体力の消耗が激しい。雪を踏み締める足元からどんどん体が冷えていく。
 後ろをついて来てくれる三人は弱音を吐かないが、吐く息が辛そうだ。俺は何度も立ち止まっては振り返る。
 差しのべた手の先に触れる、握り返される手もひやりと冷たかった。
 でもその万里の、里杏の、迦南の体温が、俺を奮い立たせてくれる。
 まだ進める。挫けるな。
 少しでも、一歩でも前へ―――



1019年 12月

 先月進むことができたのは、まだ山の中腹でさえない、四合目に差しかかるところまでだった。戦果も大きかったとはいえない。やっぱり、今の俺たちにはまだ力が足りない。
 今月も討伐先は大江山だが、出撃隊の編成をどうするか、だいぶ悩んで……結局、万里を外して若葉に入ってもらうことに決めた。―――来年のために。
 そう伝えたとき、万里はただ黙って頷いた。万里のことだ、俺がどういう結論を出すかぐらいわかってたんだろう。
 ごめんなとも言えなかった。「気をつけて」とだけ言って送り出してくれたのがありがたかった。

 大江山はいっそう雪深く、寒さも厳しくなっていた。
 あとからあとから、紅こべ大将の率いる鬼どもが涌いて出る。それで、やっぱり俺に攻撃が集中することが多かった。
 迦南や若葉が狙われるよりはまだいいけどな。正直、ちょっときつかった。俺が隊長だからなんだろうか。何にせよ来年の討伐は、できればよりしっかりと防御を固めて来るべきだな。
 今月は戦利品の当たりが良くて、火竜や太刀風といった術書に、新しい武器が持ちきれないほど手に入った。大きな収穫だ。
 だが、どうやらここまでが、今の力の限界らしい。
 できる限りのことはした。あとは――来年に託す。迦南たちが次にここへ来るとき、少しでも道が拓けていれば。そしてできるなら朱点に届けば……それでいい。
 五合目を目前に、帰還。雪に沈む大江山を後にした。



1020年 1月

 里杏の交神の儀。お相手は鳳あすか様にお願いした。
 本人はあまり気負っていない様子で、いざ儀式に臨むその時にもいつもと変わらず笑ってみせたのが里杏らしい。
「じゃ、行ってきます。仁さんもみんなも、今月はゆっくり休んで待っててね」
 思わずこっちも笑顔になった。ありがとな、里杏。



1020年 2月

 ここしばらく出撃してない万里が「腕がなまりそう」と漏らしていたんで、万里を隊長に指名して里杏、迦南、若葉の四人で九重楼へ行ってもらった。
 その間、俺は久々に街を歩いたり、蔵の中を点検したりしながらゆっくりさせてもらった…んだが、どうも日を追うごとに疲れが増してくるような気がする。妙な感じだ。
 万里たちは七天斎八起を余裕で討ち取って、楼閣で防具数点とくららの巻物を入手して帰ってきた。迦南や若葉が腕を上げて、以前よりだいぶ楽に戦えるようになったそうだ。



1020年 3月

 迦南が元服を迎え、月の始めに簡素だが元服式を執り行う。
 それから間を置かずに、天界から里杏の娘が来訪。
 優しそうなお子様だとイツ花が言っていた。きっと母親似なんだろう。青い髪や、小柄なところも里杏に似たんじゃないかな。
 名前は鈴鹿。職業は里杏と同じ薙刀士に決まった。
 若葉が「あら、また女の子なの?」なんて言いながら、嬉しそうに鈴鹿をかまってる。そうか、妹ができたようなものだもんな。

 俺は先月からの体の不調が回復するどころか顕著になってきたから、いよいよ寿命が近いんだろうとわかった。
 でも、まだ動けるうちにもう一度行っておきたい場所がある。
 出陣すると言ったら万里が顔を顰めた。具合が良くないことに気付かれていたらしい。それでも、何も言わずに鈴鹿の訓練を引き受けてくれた。……ありがとう、万里。お前には心配ばかりかけて、すまない。
 漢方を飲んだら体もだいぶ軽くなった。万里に留守を頼んで、里杏たちを連れて相翼院へ。
 天女の小宮で再び右の回廊に進む。燃え髪大将と、以前よりは余裕をもって渡り合えることを確かめた。
 それから術の書を数点入手。…どうやら、他にもまだ術書や武器を持ってるな。いずれ手に入れられるといいが。
 奥の院が見えたところで、今月の討伐を切り上げる。


 帰還したら、押し通した無理がついに一気に来た。家に上がったとたん、俺は倒れた――ようだ。
 両側から支えてくれたのは、里杏と…迦南、だっただろうか。
 まずいな、目の前が、暗い、
「仁さん!」
「父さま……!」

 ……

 ああ、ついに来たか。
 次の当主を指名しておかなきゃならんな。
 万里、お前に頼むよ。
 迦南、…いい子だ。泣かないでくれよ。お前の元服を見届けられてよかった。あとは……そうだな、お前の子供が見たい…かな…。

 ……く、
 だめだな、こんなんじゃ……
 万里、みんな…



 3代目当主 仁永眠  享年1才6ヶ月

   「こんなんじゃ、次の討伐には俺は無理かもしれんから、よろしく頼むよ」




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