4代目当主 万里の手記






1020年 4月

 よくも声が震えずに出たものだと思ったわ。
 ―――わかった。任せて、兄さん―――、と。
 里杏や迦南の嗚咽を横に、当主の指輪を受け取った私だけは、涙ひとつも滲ませることなく――とうに覚悟はできていたとでもいうように。
 言葉ほど、私は揺らがなかったわけじゃない。
 でも、それを聞いた兄さんが、最後に笑ったように見えたから。
 兄さんが安心して逝ったなら、私はそれでいい。


 けれど迦南の落ち込みはひどかった。数日経った今も、兄さんの使っていた剣や防具や、食卓に一つ空いた席を見ては泣いている。
「万里姉さま……ごめんなさい、私がこんなじゃいけないと思うのだけど、でも……
 どこにもいないの……どこにもいない、父さまが、いない…」
 若葉もあれで情にもろいところがあるから、ともすれば迦南と一緒に泣き出しそうになっているし。鈴鹿も幼いながら、兄さんがいなくなってしまったということはわかるようで心細げにしている。里杏がこまごまと気を遣ってくれているけれど、その笑顔にも翳りが隠せない。
 判断せざるを得なかった。今月は、出撃は無理だ。

「……交神、ですか」
 ええ。今のあなたを討伐には出せないわ。だから今月は交神にします。迦南、あなたの番。
 お相手の神様はどなたにする?
 誰でもいいなんて言わずに、あなたが考えて決めなさい。奉納点なら充分に貯まっているから。
「…じゃあ……うん、決めました。この方にします。白波河太郎様」
 ………え。
「え?」
 ……いえ、ちょっと。何でもないわ。あなたがそう決めたなら。
「ええ!? 迦南ー、白波様って河童よ? いいの、里杏姉さんは鳳あすか様だったし、母さんだってまあ根来ノ双角様だったじゃないよ」
 …若葉。いろいろと失礼なことを言うんじゃありません。
「いいの。白波様って高い水の素質をお持ちでしょ。丈夫な子が生まれそうじゃない。少しでも強い子に産んであげたいから……」

 ということで、白波様と交神して戻ってきた迦南。久しぶりにちょっと笑顔になっていた。
「顔はオイラに似ないといいね、って言われたわ」
 …なるほど。面白い方だ。



1020年 5月

 今月は里杏を隊長に、迦南、若葉、鈴鹿で相翼院討伐に行ってきてもらいます。
 鈴鹿は初陣だから、あなたがいろいろ気をつけるのよ、里杏。
「あら。姉さんはいいの?」
 里杏はそう言ってくれたけれど、私よりも鈴鹿や若葉たちに経験を積ませないといけない。
 …朱点と戦うのは私じゃない。あの子たちだもの。

 結果。今まで行ったことのなかった奥の院へ入り、塞がれていた道が開く仕掛けも解いてきたとのこと。
「でも、その奥にうじゃうじゃいる悪羅大将とかいう鬼が強くって! 見てよ母さん、鎧がこんなに凹んじゃった」
「でも全然歯が立たないってほどじゃないんです、姉さま。鈴鹿が力をつけているし、じきに渡り合えるようになりますから」
 そうね。奥の院に辿り着けたことも、力がついてきた証だわ。



1020年 6月

 天界から迦南の子が来訪。
 迦南と同じ鮮やかな赤い髪をした娘で、名前は依那。女の子だったらそう名付けようと、迦南と白浪様とで決めていたらしい。
「エナです、はじめまして当主さま、母さま、里杏ねえさま、若葉ねえさま、鈴鹿ねえさま!」
 依那は快活にそう挨拶した。しゃんと伸ばした背筋がきれいで、姿勢がいい。
「ねえさまじゃなくて鈴鹿でいいよ、"鈴鹿"って呼んで? 私も依那って呼ぶよ」
「あはは。幸い顔は全然、白波様に似なかったのね」
「失礼よ、若葉。――初めまして依那。これからよろしくね」
 依那の職業は弓使い。私も相談に乗ったけれど、迦南が決めた。

 今月、里杏たちは初めての白骨城に討伐に出かけた。
 その間、私は付きっきりで依那の指導にあたる。筋がよくて驚いた。体力もどんどん伸びていくし、弓の腕もすぐにでも私が追い越されそう。技の素質が低めだから術は苦手のようだけど、この子はきっと――朱点との戦いの主戦力になれる。
 神々と交わり、代を重ねるごとに強くなっていくのだと、実感させられる。



1020年 7月

 今月も出撃隊は白骨城へ。私が引き続き依那の指導にあたる。訓練は順調。
 ただ、…どうも弓が重いと、先月半ばあたりから思っていたのだけれど……今月に入ってそれが顕著になってきた。体調が優れない。
 おそらく、寿命が近付いている。
 今月で、私は1才と9ヶ月になる。…兄さんに比べてずいぶんと長く生きたものだわ。体が衰えるのもきっと、無理もないことなんでしょう。
 それでも、漢方を飲めば弓は引けるし、依那に術の手本を見せることもできる。
 だから教えられるかぎりのことを教えるわ。この子が強くなるように。朱点を打ち倒せるように。

 月末、里杏たちは恨み足を討ち取って、大きな怪我もなく帰ってきた。
 里杏や迦南から報告を受ける間、依那がずっと身を乗り出して聞いている。
「ねえ当主様、あたしももうすぐにでも実戦に出られるって、こないだ言ってくれたよね。母さま、来月の討伐はあたしも連れてってくれる?」
「ふふ。それじゃあ、あとで訓練の成果を見せてもらおうかな。
 いいわよ、来月は一緒に出ましょう。万里姉さまが許してくださったらね。楽しみだわ」
 ――いいえ、来月は討伐へは行かない。御前試合に出場してもらうわ。
 話に聞いたことはあるわね。大江山に登る武士たちが腕を競う、朱点童子公式討伐隊の選考会。
 腕試しをしましょう。迦南、若葉、鈴鹿、依那。あなたたち四人で参加していらっしゃい。
 依那は強いわ。初陣とはいえ、三人に後れを取らないだけの力は充分あるはず。出られるわね、依那。
「もちろん、当主様! 絶対優勝してきます」
 その意気。

 ……さあ。皆が試合に出かけている間、私は里杏と大事な話をしなければ。



1020年 8月

 討伐隊選考試合が開催され、予定通り迦南たちが出場。
 結果は、優勝。筆頭討伐隊に任命され、支度金と名品を賜ったとのこと。立派な戦いぶりだったと、イツ花が興奮して告げに来た。
 だというのに、……情けないものだわ。イツ花のその報告を聞いたとき、私は床についていた。
 体の不調はもう漢方でもごまかせないところまで来ている。
 時間がないわ。最後に皆に伝えなければならないことが残っている。

 イツ花に数刻遅れて帰ってきた四人を、すぐに部屋へ呼んでもらった。大事な話をするからと。
「姉さん、無理に起きようとしなくていいわよ。そのまま話しましょ」
 …悪いわね、里杏。そうするわ。
 私はもう長くない。だから今のうちに次の当主を指名します。
 五代目当主は、迦南、あなた。
「私が…!? どうして? 里杏姉さまは?」
「試合の間に、私と姉さんで相談して決めたのよ。あなたはここ何ヶ月かで、とてもしっかりしてきてくれたから。
 次に大江山が開くとき…私はたとえ命があっても、きっと戦える体じゃないでしょう。だから迦南、あなたに託すの。
 この指輪をつけて、九条の当主として戦ってきてちょうだい。そして今年こそ……朱点を倒せるよう」
 唇を噛んだ迦南の表情が、揺れる。

 ――あのとき……兄さんが死を迎えたとき。
 三代目当主だった兄さんが、家族の大黒柱として背負っていた重みを次に継ぐのは私でありたいと、……私は確かにそう思っていたわ。当主を継ぐ覚悟というものが、私にあるとしたらそれだった。
 迦南、あなたがどんな思いでこの指輪を受け取るか、私は知り得ない。もう少し、あなたと話をしておけたらよかった。
 けれど若葉がきっとあなたを支えるわ。私に里杏がいてくれたように。
 だから、大丈夫。そう信じるから、後をあなたに託そうと思うの。
「迦南…、」
 顔を上げた迦南は若葉と目を合わせ、それから里杏を見、私を見て。
――…わかりました。姉さま、私、


 ――お受けします、と言ったのだと思う。
 けれどその声が急速に遠のいて、終わりまで聞き取ることができなかった。

 最期だわ。
 差し出した指から当主の指輪が―――外れる。


 不思議と、身体は軽い。この数日というものあれほど重たかったのが嘘のよう。
 ……静かね。
 周りの色も音も温度も、すべてが遠ざかっていく心地がする。これが、死なのね。
 …そんな顔をしないで、里杏。
 大丈夫。嘆いていないわ。何もかもが消えてなくなるわけではないから。死も、私からあなたたちを奪うことだけはできないもの。
 愛しているわ。
 先に逝った兄さんや母さんたちも。そしてあなたたちのことも。私はとても、愛していたわ。



 4代目当主 万里永眠  享年1才10ヶ月

   「死によって たとえすべてが奪い取られても
    私には あなたたちがいるわ」




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