5代目当主 迦南の手記 1020年 9月 この度、五代目当主を襲名いたしました、迦南と申します。 ……万里姉さまの次の当主は里杏姉さまだと、あたりまえに思っていました。里杏姉さまはああ仰ったけれど、できることなら姉さまの寿命が来るまでに間に合わせたい。そのためにも、私にできることは精一杯やっていくつもりです。 これまでの記録を読み返したところ、鳥居千万宮に行ったことがあまりないようなので、今月の討伐先はここにしようと決めました。 以前の記録には「緑の鳥居のみをくぐっていけばいい」とありましたが、どの色の鳥居が奥に通じているかは時によって違うようです。今回は黄色の鳥居でした。 新しい武器が数点と、火の術の巻物がたくさん手に入りました。それから、朱ノ首輪に囚われていた風車ノお七様を解放。 まずまずの成果だって、言ってもいいでしょうか。 1020年 10月 先月、収穫が大きかったので、今月ももう一度鳥居千万宮へ出かけます。 やはり黄色の鳥居をいくつもくぐって行ったその先、ひときわ大きな黒い鳥居の下で、大狐の鬼が襲いかかってきましたが、討ち取りました。 それから、依那が奥義を編み出しました。『連弾弓依那』、三射を立て続けに放つ奥義です。すごいわ、依那! 「えへへー、ちょっと頑張ったよ、母さま!」 そうね、家でも鍛錬を重ねてきたものね。 すごいすごい、と鈴鹿に抱きつかれ、若葉に背中を叩かれながら胸を張る依那を見ると、なんだか私も誇らしく嬉しくなります。 ───奥義といえば、若葉も八月の御前試合で『疾風剣若葉』を創作していたのだけれど……万里姉さまにはついに報告できないままでした。きっと喜んでくださったと思うのにな…。 京へ帰ってきたら、豊年ムキムキ祭りが盛況でした。たまには息抜きをしましょうと里杏姉さまが言ってくださったので、祭りの最終日に五人揃って見物に出かけます。 祭りの名前の通り…というのか、あの独特な山車が、初めて見る依那や鈴鹿の目にはとても面白く映ったようです。二人であっという間に祭りの行列の中に駆けていってしまいました。 「賑やかねー。去年、ちょっとだけ仁さんに連れられて来たのを覚えてるけどさ、今年はまたずいぶん人が増えたんじゃない?」 と、若葉。 「お囃子も去年より立派になっているわよ。きっと演奏する人も増えたのかな。こういう拍子は好きだわ、元気が出るものね」 と、拍子にあわせて手を打ちながら里杏姉さま。 でも、姉さまはお体の具合があまりよくないようです。心配だわ…。 1020年 11月 十一月、いよいよ大江山の門が開きます。 ついにまたこの季節が来たのだと、身が引き締まる思いがします。この時のために、私も皆もできるかぎり鍛えてきたつもり。過信ではなく、去年よりもずっと力をつけたはずだと……思います。 出撃隊は、私と若葉、鈴鹿、依那。 里杏姉さまに見送られて、二日早朝、京を出立しました。 去年に比べ、今年は山の地理も現れる鬼も、だいぶ勝手がわかっています。こちらの装備は去年よりもさらに良質のものを揃えていますし、紅こべ大将はもうまったく恐ろしい敵ではなくなっていました。 …雪の中を進みながら、ふと、父さまの背中を思い出して懐かしくなりました。去年は山ワラや幽鬼の群れにあれだけ苦戦させられたのが嘘のよう。 五合目あたりからは悪羅大将が出現するようになりましたが、これも相翼院で戦ったことのある敵です。体力回復さえ怠らなければ、やられることはありません。 そうして月の半ば過ぎ、恐ろしげな仁王像が左右を守る、大きな山門に辿り着きました。 いやな気配がする、絶対に何か出るよと、依那が。確かに同感です───背筋がざわりと冷たくなる感じ。 門を開けた先に何が待ち構えていてもいいように、武器を確かめ、体力を万全に回復させて一歩を踏み出した時でした。重いものの動く音がして、「通さぬぞ」としわがれた声が響いて、石の彫像とばかり思っていた左右の仁王像が襲いかかってきたのは。 苦しい戦いになりました。 打撃の一撃一撃が重い。防御も堅く、こちらの攻撃がほとんど通らない。その上みどろや光無しの術でこちらの力を封じられてしまいます。 回復が少しずつ追いつかなくなり、手持ちの道具も尽きてきて次第に焦りがちらつき───ついに当主の指輪の力を使って、やっとそれで仁王の動きがいくらか鈍くなってきたかと思ったそのとき、深く踏み込んでいた鈴鹿が太り仁王の棍棒をまともに受けてしまって! 私と若葉の攻撃で二体の仁王を沈めたのは、本当にそのすぐ後だったんです。 弓を放り出して真っ先に駆け寄った依那が、すぐに鈴鹿の傷を癒しました。…でも、意識が戻りません。血は止まったのに鈴鹿の顔色は蒼白なまま、これは─── 「…やばいかもしんない」 「若葉姉さま! やだよそんなこと言わないでよ!」 「言ったからって状況変わらないわよ。───迦南、下りよう」 ……ええ。 討伐どころじゃない。鈴鹿が死んでしまう、かもしれない……! 帰還した私たちを迎えた里杏姉さまが、鈴鹿を見て息を呑んだ瞬間の、悲痛な顔。 「ごめん里杏姉さま、あたしが早く奥義撃ってればこうなる前に倒せたんだ! 鈴鹿、鈴鹿……!」 …姉さまは、けれどすぐにやわらかく微笑んで鈴鹿を抱き取りました。名前を呼びつづけながら泉源氏を唱えます。私たちは火鉢をいくつも運び込んで部屋を暖め、あとは祈るしかありません。 やがて血の気のなかった頬に赤みが戻って、鈴鹿が目を開けたとき、どんなに嬉しかったか! 「母さん」と発した声は、存外しっかりしていました。ああ、もう大丈夫だわ。 里杏姉さまはそれからもずっと、いとおしげに鈴鹿の髪を撫でていました。 鈴鹿の命を繋ぎとめてくれたのは、きっと姉さまだったのでしょう。 でも、それと引きかえに…… 里杏永眠 享年1才8ヶ月 「三三七拍子で送ってちょうだい じゃ、行くよ」 「頑張ってね」と、笑顔で送り出してくれた里杏姉さま。…間に合わなかった───。 1020年 12月 十二月になりました。京の町にも雪がちらつくようになり、日─寒さが増してきます。そして今月で、大江山は閉門。 今年の朱点打倒は、諦めました。 傷が癒えきらない鈴鹿を討伐にはとても出せないし、かといって三人で出撃しても、門番にすら苦戦するようでは朱点となど到底戦えない。……そう判断したから。 事の始終を報告しに、私と若葉とで御所へ上がりました。八月の選考試合で筆頭公式討伐隊に任じられ、支度金までいただいていましたから、どんな結果であってもお伝えしないわけにはいきません。 左衛門督には思いがけなく労いの言葉をいただきました。ここ数年は仁王門まで辿り着いた者さえいなかった、よくやったと。 でも。 でもそれでは……辿り着いただけでは、門番を倒せただけでは何にもならないじゃありませんか───! 「そんなに泣かなくてもいいじゃない? 来年があるわよ、ね、元気出しな」 来年……──でも、だって、だってどうしてあなたがそれを言うの、若葉。 「私が言わなくて、誰があんたに言ってあげられるのさ。 大丈夫。───私とあんたは無理だけど、鈴鹿や依那にはきっと来年があるわよ。 朱点に届かなかったのは、誰のせいでもないから。ただ今年は私たちに力が足りなかったってだけ。だからさ、来年のために、今からできることをやろうよ。仁さんや母さんだって、初代様だってきっとそうしてきたんでしょ」 ……。父さまも初代様も……。 そうね。ごめんなさい、若葉。ありがとう。 今は私が九条家の当主。父さまが亡くなったあの時のように、何日も泣いて塞ぎ込んでいられた私とは違うのだわ。 私たちが今、できることをやらなくちゃ…… ───あのね若葉、さっそくなんだけど、今月これからあなたの交神にしてもいいかしら。来年の大江山に挑むために、少しでも早く家族を増やさないと。 「もちろんそのつもりだったわよ。任せてよ、強い子もらってくるからさ。あ、でも相手の神様は私が選んでいい?」 と言ってくれ、若葉がお相手に指名したのは鳳あすか様。以前に里杏姉さまがお願いした方ですけれど、若葉は交神するならこの方と決めていたそうです。 「剣士は体が資本だから、やっぱり体の素質が高い神様じゃないとねー。まあ、あすか様が里杏さん一筋で、他の女と交神なんかしない!っていうんだったら他をあたるけど。里杏さんからそういう話は聞いてないし、いいわよね別に」 イツ花にも確認したところ問題ないようだったので、急ぎ儀式の準備を整えて送り出しました。 さて。 若葉はこれから半月以上も不在。鈴鹿のそばには依那がずっと離れずについています。 私は、今の私にできることを考えましょうか…。 1021年 1月 年が明けて、鈴鹿の怪我もすっかり癒えました。 久しぶりに朝の鍛錬で薙刀を振るっていたので声をかけたところ、「もう全然平気、今すぐ討伐にも出られるよ?」だそうです。本当によかった。 でも討伐に出るのは来月。今月は、その鈴鹿の交神の儀を執り行います。 お相手の神様にどなたを選ぶか皆で話し合い、三ツ星凶太様にお願いすることに決めました。 少し不安そうにしながら儀式に赴いた鈴鹿でしたけれど、帰ってきた時にはなんだか弾んだ様子でした。凶太様と気が合って、一月の間楽しく過ごせたのだとか。それなら、子供の来訪もますます楽しみね。 1021年 2月 若葉の子がイツ花に連れられて来ました。癖のないきれいな茶色の髪の女の子です。 「うわーうわー、小っちゃーい。ぷにぷにしてる。えい」 「依那だって来たときは同じくらい小っちゃくてぷにぷにしてたよー。可愛いー、ねえ若葉さん私もほっぺつついていい? えい」 …と、依那や鈴鹿に囲まれながらにこにこしています。なんだか落ち着いた感じの子ね。 名前は安曇と決まりました。職業は… 「もちろん剣士にするわ、奥義を継いでほしいんだ。いいよね?」 もちろんよ、若葉。それじゃあ、今月の安曇の訓練はあなたにお願いするわ。 私と鈴鹿、依那は久しぶりに討伐へ。今月、特筆しておきたいのは鈴鹿が『双光鈴鹿斬』の奥義を編み出したことです。 「こないだ、依那が連弾弓の奥義を創ったでしょ? あれ見て私も考えてたの、薙刀でも一息で連続攻撃ができたら強いだろうなぁって」 来月生まれる子に継がせるんだと張り切っていました。 ───実を言うと、私は今月の初めごろからおかしな目眩がしていて、寿命が尽きるまであとどれだけなのかと不安になっていたのだけれど…… 幸い、まだ漢方で抑えられる程度の不調だったようです。処方していただいた薬がよく効いて、討伐も何事もなく終えて帰還することができました。この分なら、ちゃんと来月鈴鹿の子を迎えられそうだわ。 1021年 3月 続いて三月、鈴鹿の子が家へやって来ました。 出迎えて、私と若葉は思わず声を上げました。男の子です。まあ、久しぶりね…! 「男は仁さん以来じゃない! 偉い鈴鹿!」 「うふふ、褒めて褒めてっ。顔は凶太様にちょっと似てるかなー。ねっ、昂牙」 昂牙? 「コウガ……なぁに、カッコイイじゃんその名前」 「ふふ、凶太様がね。絶対息子を授けてやるから、思いきり男らしい名前つけてやれ、って。だから本当に男の名前しか考えてなかったんだ。よかった、男の子で」 昂牙はもちろん、薙刀士として育てることになります。安曇と1ヶ月違いだから、一緒に訓練ができるわね。仲良くしてね、安曇、昂牙。 今月は、御所で春の御前試合が開催されています。夏の試合と違って自由参加ではなく、帝に腕前を認められた精鋭のみの出場だそうですね。 当家にもお声がかかりましたけれど、今月は私が安曇の指導に、鈴鹿が昂牙の指導についていなければならず、出撃隊は若葉と依那の二人きりになってしまいます。こんな状態で御前試合には行けないので、今はどうしても一族を鍛えることに集中しなければならないと申し上げ、出場は辞退させていただきました。 若葉と依那には九重楼へ討伐に出てもらいます。入手品はあまりなかったものの、討伐は快調とのことでした。七天斎八起は、もう二人でもまったく危なげなく倒せるようです。 が、その戦闘で連弾弓の奥義を使ってみたところ、依那の健康度が一気に半減してしまったそうです。依那本人はけろりとしていたけれど、若葉が慌てていました。 強力な奥義は身体にかかる負担もそれだけ大きいのね。無理をして命を縮めることだけはないよう、気をつけて使ってね、依那…。 ……ふふ、そう言う私が依那よりもっと青い顔をしていたら、説得力がないかしら。 私もいよいよ寿命が近いようです。自分のことだからよくわかる。もう、本当に、時間が残っていないのだわ─── 日を追うごとにだんだんと体が弱って、やがて薬も喉を通らなくなって、床についたまま数日を過ごしたある夕刻に、ふとその時が来たのがわかりました。 「…迦南? どうしたの。依那たち呼んでこようか?」 …うん……あのね、若葉。…ごめんね。 私は先に逝くわ。 後のこと、もう少しだけ依那たちのことを、どうかお願い。 安曇は、この一月で見違えたわよ。背丈もすごく伸びていたでしょ? でも剣の腕はもっと。あとで見てやってね。 昂牙もきっと立派に育つわ。薙刀の訓練はまだまだこれからだけど、度胸が座っていてね。大物かもしれないねって、鈴鹿やイツ花と話していたの。 だからね、心配いらないわ。この次に大江山が開くときには、きっと─── ……ねえ、若葉。これって自己満足だったかしら。 どう足掻いても私は死ぬって、朱点童子を討つまでは私はどうやったって生きていられないって、わかっていたわ。 それでも、あの子たちが朱点に勝って、呪いを解いてくれるなら…って。依那たちが生きられるならそれで本望だって、私は自分をごまかしていたのかしら。 ……ううん、今はもう、どちらでもいい…かな。たとえ自己満足でも、それがあったから精一杯にやるべきことをやれたんだもの…… 今まで、ずっと支えてくれてありがとう若葉。頼りない当主でごめんなさい。あなたに後を背負わせてしまうこと、申し訳ないと思ってる。 でも、こんなでも、私なりによくやったかなとは思っているの…。ほめてやってくれる…? 5代目当主 迦南永眠 享年1才8ヶ月 「自己満足かもしれないけど 私なりに一生懸命やったつもり… ほめてやってください…」 |
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